せな忌み子





「遠山さん…」
目の前に佇む少女が呟いた。
白い手には先の尖った小さな包丁が握られている。
何も切ったことのないような新品の肉切り包丁は、暗い部屋の中でぴかぴかと光った。
少女が一歩踏み出した。
青い薄手のランジェリーの裾がふわりと揺れる。
「遠山さん…」
少女と男との距離は5メートルもない。
男はゆっくりと後ずさりながら、そっと指先を腰元に忍ばせた。
硬質な冷たさを確かめて柄を握る。
人差し指は引き金に掛けた。
男がそれを引き抜くのと、少女の体が宙に浮かんだのはほぼ同時だった。
気がつけば彼女は男の背後に着地していて、
5本の細い指が男の首に絡みついていた。
そして残る5本の指の握る包丁が男の後頭部で煌く。
「遠山さん…」
「イオン、いいかげんにしろ」
背に回した左手で拳銃を少女の腹部に突きつけて
本日初めて男が答えた。





「遠山さんひどい」
「お前にだけは言われたくないな」
「女の子に手をあげるなんて、そんなの『紳士』じゃないよ」
薄暗い部屋でベッドの淵に腰掛けた少女はふてくされたように言う。
「どこで覚えてきたんだ、そんな言葉…」
「この前買ってくれた絵本。ハクバノオウジサマがやって来るの」
童話を思い出して興奮したらしく、足をばたつかせて身を乗り出す。
稚さの出る仕草とは裏腹に深遠な黒い瞳。
初めて見たときには『普通ではない』ということだけを教えていた。
本能に従って鼓動が警鐘を鳴らした。
こいつはヤバいと思った。
そんな遠山に、少女は「死んで」と一言呟いた。
小さな唇が「殺して」と紡いだ気がして連れ帰った。





「遠山さん」
「何だ」
「好き」
でも殺しちゃうかも。
そう少女は言う。とても残念そうに。
「そうか」
とだけ答えた。
それが俗に言う色恋沙汰の話でないのは分かっていたし
だから何だと言及するつもりもなかった。





『皆殺したいの』
平淡な口調で言った少女に
『こうすりゃ早い』
と言って返した。
放った炎で燃え上がる村を後にし、少女を背負って歩いた。
遠山も殺してしまうかもしれないと怯える少女に
『そうなったらお前を殺してやる』
言って聞かせれば妙に安心したようだった。
赤く染まった手で家に上がりこんだ少女に、
血を洗い流すことをまず教えた。
遠山の手も何度も染まった。
その度に洗面台で無かったことにした。
遠山と違うのは、少女の手の平にこびりついた血の中には
彼女自身のものも混じっているということ。
少女は忌み子だった。
簡素だが頑丈な檻の中で、
皆を殺したいと言い募る少女の腕が
手枷から外れそうなほどに抉れているのを、遠山は見ていた。
自分で引き千切ったという。
『腕を動かすと鎖が千切れるの』
少女は説明した。
『そうしたら村の人がやって来て、格子の隙間から私の腕輪を取り替えるの。
 それで腕を動かすとね、千切れるの。
 包丁と同じ刃が入ってるんだって』
哀れみを乞うでもなく、自慢するでもなく無感情にそう言う少女に
今後は手首を千切ることも禁じた。
遠山のような人間は初めてだと少女は言った。





あれから3年。
殺し屋を家業にする遠山で、出来る限りの『常識』を教えてきた。
少女は街に出かけられるようになった。
包丁を持たせなければ殺さなくなった。
最初は自分の皮膚を噛み千切ろうとしたりしていた少女も
血に濡れる頻度は遠山と同じくらいにまで減ってきていた。
本を与えれば読むようになった。
年齢や性別に関心を持ち始め、服装に興味を示し始めた。
けれど、それまでだ。
持たせれば、少女は殺す。
他人を殺す。自分を殺す。
遠山をも殺す。
そしてそれを恐れながら
でも殺す。
少女に買い与える絵本を物色しながら、よく思う。
この薄っぺらな本の表紙のように無邪気に、彼女は殺すのだと。
「遠山さん」
繋ぎとめようとするかのように、少女はよく彼の名を口にする。
聞いてみれば用件のないことも多い。
「遠山さん」
少女の肩までの髪型は、最近二人がかりで決めたものだ。
それなりの店に行って切らせようかとも思ったが、街中で刃物を見せたくなかった。
木製の簡単な椅子に座らせ、首からゆったりと長い青のタオルをかけてやった。
何度もハサミに伸びそうになる小さな手を、無理矢理押さえ込むのは慣れたもので
身だしなみなどに疎い二人はどこをどう切るかいちいち相談しあう余裕もあった。
ベッドの縁にちょこんと座ったまま、隣でぶらぶらと足を揺らす少女。
切り揃えられた黒髪を見て意外に上手くいったもんだと思う。
さっきまで遠山を狙っていた包丁は既に台所に収まっている。
彼も銃をしまっていた。
まるで何事もなかったかのように。

「遠山さんは馬には乗らないの?」
「童話の話だろ。馬なんか料理亭以外じゃ見かけない」

けれど10分前には確実に普通でない何かが起こっていて
二人の限界が近いことも分かっている。


『そうなったらお前を殺してやる』

その言葉は名前を呟くより確実に二人を繋ぎとめてくれる。
台所に包丁が戻されなくなる日が、いつか来るまでは。








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