形のいる城



ちりんちりんと涼しい音がすれば、それはあのひとの昼食の合図。
イオンはいつものようにベッドに座ってじっとしていた。
彼の昼食は、イオンにとって一番大切な時間。
何もせずただ居るだけの一日のうち、生きていることを一番よく実感できる時間だった。
「こんにちは」
暗闇に向かってイオンは話しかける。
「よく分かるな」
と、感心したような声が返ってきた。
  足音も、身じろぐ音さえしなかったけれど、彼が来れば分かる。
ひんやりとした空気が部屋を包んで、イオンの心臓を圧迫するからだ。
こつこつという音が近づいてきて、彼はイオンの隣に腰かけた。
彼の雰囲気が在る方向に顔を向ける。
「そこじゃない。もっと上だ」
そう聞こえたと思うと、軽く顎を捕らえられて、数センチ上を向かされた。
どうやら自分は少し見当違いな方を見ていたらしい。
首の後ろが少し痛む。
「…ほんとに背が高いんですね……」
小柄なイオンにしては褒めたつもりになっていると
「本当に見えていないんだな」
と返ってくる。
頷こうと思ったけれど、顎は彼の指で支えられているので上手く動かせない。
仕方なく2,3度瞬きをすると、呆れたような溜め息で返された。
「相変わらず場違いな奴だ」
「そうなんですか?」
「ああ……そろそろ貰うぞ」
「はい」
それが合図。
彼は右手をイオンの顔から離すと、そのままその手でイオンの右手を押さえ込んだ。
そして左手ではイオンの左肩を掴み、細い首筋にそっと口付ける。
ちくっとした痛みが走り、イオンは一瞬目を瞑る。
彼の細い牙が柔肌を突き抜け、血脈を当てる。
じわりと湧き出る鮮血を、尖った舌先で舐め取った。
イオンの血は塩の味がほどよく、少し甘い。
こんな血は初めてだった。麻薬のようだ。飲み干してしまいたくなるほどに。
夢中になって無理をさせないよう、イオンの表情の変化を見ながら食事をとる。
少女は虚ろな目で何処かを見ていた。
彼の髪が、顔が、息が、触れてくるのが分かる。
首元は彼の体温で温かくて、舌でくすぐったくて、
ぴちゃぴちゃという音が少し恥ずかしかった。
熱に浮かされるように、意識が朦朧としてくる。
うとうとと瞬きを繰り返す。
それは多量の血を抜かれたせいかもしれないし、あまりの気持ち良さに眠くなってしまったのかもしれなかった。
彼の牙が今自分の中にあって、自分の血は、彼の中に取り込まれていく。
少し卑猥な音でそれを実感しながら、イオンの意識は途切れた。






「起きたか」
彼の声に目を開けると、そこにはいつも通りの暗闇があった。
イオンはどこかに横たわっていた。
多分ベッドの上だろうと思う。
体の上になにか柔らかいものが乗っている。毛布だ。
「あったかい……」
思わず言葉がこぼれる。
「……そうか」
彼は些か返答に困った様子だった。
イオンはまた、彼の雰囲気があるほうへ顔を向ける。
それは多分ベッド際の椅子の上。
「そこにいるんですか…?」
「ああ」
短い返事がその辺りから聞こえてくる。
今度はちゃんと正しい彼の方向を当てられた。
イオンはしばらくじっとその場所を見ていたけれど、ふとつぶやいた。
「私が死んだら、どうしますか」
それはずっと遠いことなんかではなく、常にイオンの傍にある問題。
現にイオンはあのまま目覚めなかったかも知れず、明日は目覚めないかもしれないのだから。
「代わりを連れてくる」
彼は端的に答えた。
当然だ。何せ自分は彼の昼食なのだから。
ご飯を抜いたら彼も死んでしまう。
分かっていても、素直にそれを受け入れることができなくて。
「私の死体は?」
と聞いてみた。
「どうしてほしい」
「…お傍に置いて下さい」
そう答えた。
傍にいたい。このひとの傍に。
朽ち果てて崩れて、見向きもされなくなったっていい。
代わりが来て、土の中に捨てられるなんて、多分死んでも耐えられないから。
「では、そうすることにしよう」
そう言って彼は立ち上がった。
椅子と床のこすれる音がイオンにも届く。
こつこつと、足音が遠ざかる。
彼がどこかへ行ってしまう。
どこか、イオンの知らない空間へ。

その足音を二度とイオンが聞くことはなかった。






スペインの山奥深くで、中世のものと見られる古城が発見された。
何もない大ホールと、何もない食卓と、何もない数百個の小部屋で出来た城だが、ひとつ不思議な部屋もあった。
まず小さな白いベッドがひとつある。
その小脇に置いてある古ぼけた椅子と、その背もたれにかかる長い黒のローブ。
そして小さなベッドには、少女の人形が毛布をかけられて寝かされていた。
見えない目で漆黒のローブを見つめたまま。



何かの暗号かと世界中の学者が首を捻っているが、真相はまだ分かっていない。








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