し屋さんと私




あんなことをしたのは、退屈で仕方なかったからだと思う。
毎日が同じことの繰り返し。
そうやって生きても、どうせいつかは死ぬのだし。
何か大きなことをしようと思った。
将来ではなく、今。
そう考えたらわくわくした。
未来を考えることなんてどうでもよくなった。
多分それは一時的な熱で、過ぎ去ればまた小さな変化に怯えて暮らすことになるのだろうけれど、
とりあえず今はこの波に任せよう。
そう思った。


『彼』にそれを頼んだのは、
彼が全身黒ずくめだったからではなく、
デパートの一角の刃物売り場にいたからでもなく、
ただ、小さな剃刀を見下ろす黒い目が
その刃と同じくらい鋭かったからだった。

「私を殺してくれませんか」

挨拶もなしにそう話しかけたのも、ひとえに一時の熱のせいだと思う。
普通に考えれば、彼はデパートのお客で、一般人。
頭おかしいんじゃないかと、奇異の目で見られるだろうと思っていた。
不気味な子供だと言って追い返されると思っていた。
でも彼はただひたすら私を見つめていた。
彼は一番下の段の剃刀を物色するためにかがんでいて、
そうでなければこの時見下ろされる形になっていただろうと思う。
そして彼はしばらくの沈黙の後こう言った。

「いくら払う」

私はお財布を確認した。

「1000円しか持ってません」
「ふざけてるのか」

彼はここで初めて私の精神状態を疑った。
私は再度お財布を開けた。

「500円玉がもう1枚ありました」
「いいかげんにしろ」

足りないというのか。
高利貸しのようなことを言う。
私は引き下がる気になれなかった。

「私なんかを殺すのに、1500円もかかるとは思えません」

彼は私を見た。
私も彼を見た。











「くそっ、何で勝手に止めたんだ!」
「だって凄くうるさかったから…」
いつもの朝の風景。
彼は部屋着でドタバタと準備を始める。
「コーヒー入れとけ」
寝癖のついた髪を片手でかき上げながらそう私に命じた。
返事を聞いてくれる気はなさそうなので、黙って台所へ向かう。
いつものコップを取り出すと、いつものコーヒー粉をいつもの量振り入れる。
私がここに来て五日間。
初めて会った次の日、彼が殺し屋を本職にしていることが分かった。
家は意外にも普通で、仕事道具は一つの部屋にまとめてあるらしい。
一度私に全部見せてくれた。
典型的な銃や刃物から、これで人が殺せるのかと言いたくなるような道具まで、全部。
この中から好きなやつを選べと言われた。
私が死に方を選ぶまでの一週間、居候させてもらうことになった。
私の目の前で彼は椅子にかけていた黒いスーツを引っ掴む。
そのまま着ている上着のボタンを外そうとするので
「自分の部屋で着替えて下さいね。私だって一応女の子なんですから」
と、コーヒーにお湯をそそぎながら釘を刺した。
「だったらお前がむこう向いてろ」
彼は構わず上着を脱ぎ捨てた。
見たくもない彼の上半身をはっきりと見てしまう。
やかんを持ったまま固まった私を彼は不審そうに見た。
「何赤くなってるんだ」
「なってません」
即座に否定した。
が、心持ち顔の辺りが熱かったかもしれないのも事実だ。
痩せているというより、無駄なものを全部削ぎとってしまったような体だった。
スーツを掴む骨ばった指の辺りから血管が浮き出ていて、それが辿る腕はしなやかで力強かった。
猫背気味の彼の背中は見て分かるくらいごつごつしていた。
お腹の辺りは見えなかったし、覗き込むわけにもいかなかったけれど、
多分ここも筋肉に皮が張りついたみたいになっているのだろうと思う。
銃を撃つには体に大変な反動と負担がかかるのだとよく読むが、なかなかの重労働らしい。
「ぼーっとしてないで手伝え」
「はい、コーヒー」
「ああ」
私から湯気の立つ温かいコーヒーを受け取ると、彼は一気に飲んだ。
私は彼の咽喉が上下するのを、またぼんやりと眺めていた。
彼は空になったカップを流し台に置きに行く。
「水につけておいて下さいね。とれにくくなりますから」
私はまた釘を刺した。
彼は一度軽く舌打ちをすると、乱暴に蛇口を捻って水を出した。
その間に私はソファに置いてあった鞄を取ってやる。
このソファは私のベッド代わりになっている。
彼の寝室はすぐ廊下を歩いたところにあって、
寝ている間は出てこないで欲しいと言ったら、誰がお前なぞ相手にするかと嘲笑われた。
手に取った彼の鞄は、考えていたよりずっしりと重たくて、少しびっくりした。
「お前も行くか?」
不意に彼が言った。
「はい?」
「迷っているなら俺の仕事を見て決めろ。どうやって死ぬかをな。
それともやめておくか?」
ああ、そういうことか。
約束の日は明後日に迫っていた。
いいのかな、私みたいな子供を殺し屋の仕事に連れて行っても。
「どうするんだ」
私は彼に借りたシャツを着ていた。
勿論ぶかぶかで、ワンピースみたいになってしまったけれど、
お風呂に入って同じ服を着るよりはずっと良かった。
「行きます」
私は長すぎる袖をずり上げて、彼が着ているスーツの端を掴んだ。
歩きにくいからやめろという抗議は無視した。




明後日になったら、包丁も銃も要らないと彼に言おう。
ただ彼の長い指でくびり殺してくれればいい。



前を歩く彼が自然と歩調を緩めてくれて、私は泣きそうになった。









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